ハンサム的思考

今日はサークルの先輩の引越しの手伝いをしてきました。朝から地震があるわ雪に限りなく近いみぞれが降るわ加えて寒いわでさんざんでした。しかも、冷蔵庫やテレビを運んでいる時は両手がふさがっているために傘もさせないという有様でした。疲れた・・・。
しかし、そんな中でも面白いことはあるもので、引越し先に車で移動するまでの間に非常に変わった名前のラーメン屋さんを見つけてしまいました。その名も『ハンサムらーめん』です。
・・・いや、ホントですって。嘘なんかつきません。その店の前を3往復もしたんだから読み間違えもありません。一字一句間違えなく『ハンサムらーめん』です。
 さて、ここで問題になってくるのはこのラーメン屋の何処が店名にして強調するほど『ハンサム』なのかということです。そのまま読めば「ハンサムなラーメン」なんでしょうが、『ハンサム』とは一般的に人間、あるいは例外的ながらも動物などの有機物に使うものです。ラーメンのような無機物の食品に対して『ハンサム』を使うことはありません。ゆえに、この線は消えました。
 次に考えられるのが「食べるとハンサムになるラーメン」です。しかし、食品を食べただけで『ハンサム』になるなんて・・・まるで、海外輸入物のテレビショッピングです。いや、長寿だのシェイプアップだのはまだ原理が分かるような気がしますが、食事をしては『ハンサム』になるなんてちょっとありえません。うそだとしても騙されません。ゆえにこの線も却下です。
 次に考えられるのは『ハンサムな店主作っているラーメン』です・・・が、そんなの自慢されたって食欲が湧くわけじゃありません。却下。
 では、最後に『ハンサムな人しか食べられないラーメン』です。『ハンサム』じゃない人が入ると店主に追い出されます。この店でラーメンを食べられるのは、長年客の顔を見つづけて目の肥えた頑固店主が「この男は!!」と認めた『ハンサム』な人だけです。あ、これだとちょっと修道くさい感じですが、最近は『ハンサム』な男の人だけでなく、『ハンサム』な女の人もいるので、『ハンサム』ならばきっと老若男女とわず入れると思います。この経営方針はお客を限定するため一見誤っているようにも見えますが、そうではありません。この経営方針は現代日本社会と大衆の心理を知り尽くした上で考えられた実に計算高いものなのです。知ってのとおり今は資格重視の世の中です。運転免許、教職資格、学芸員資格、図書館員資格、英検、漢検、爆発物取り扱い、楽器や手芸、はては郷土の知識に至るまであらゆるものに資格がります。そして、人はみな自分にブランドをつけていこうと資格をとるのに骨身を惜しみません。つまりこの『ハンサムらーめん』もその資格の一つなのです。おそらく店主に認められこのらーめんを食べると店から認定証のようなものがもらえるのでしょう。そして、その日から社会的に自分が『ハンサム』であると認められるのです。その認定証を持って町にでて見ましょう。認定証をちらりと通りがかりの人に見せれば、見た人は尊敬と羨望の混じったまなざしで見ることでしょう。あるいは就職の面接に持っていくとしましょう。その認定証を面接官に見せれば、即座に会社の花として採用決定です。こんなに便利な資格を見逃す手はありません。みんな我先にと『ハンサムラーメン』に駆け込むことでしょう。しかし、生来の頑固さと『ハンサム』資格のネームブランドを保つ使命ためといくら店主はいくら客が来ようと認めた人にしか食べさせません。それによってさらに『ハンサムらーめん』のブランドは高まっていくのです。ちなみに『ダンディ』も『綺麗』も『キュート』も『ハンサム』とは違います。もしこの店を見つけたら自分が『ハンサム』かよく確かめてから入らないといけません。
 ・・・なんてことを移動中暇つぶしに考えてました。なんて無駄な時間なんだろう。
あ、『ハンサムらーめん』が実際どんなものかは入ってないので全然分かりません。でも、もしかしたら上記のとうりのらーめん屋かもしれません。知りたい人は頑張って見つけて自分で確かめてください。僕は自信がないので遠慮しときます。