わたしが幽霊だった時

 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ著/浅羽莢子訳 創元推理
ウィン・ジョーンズは2冊目です。この作者独特の灰汁が強くて騒がしいキャラクターにもその文体にも慣れたので前作よりかなりすんなり読めましたし楽しめました。
物語は、突然一人の少女が幽霊として目覚めるところから始まります。しかしこの幽霊、自分が何もので何故幽霊になってしまったかをまったく覚えていません。ただなんとなく懐かしいような感覚を頼りにとある家に着くと、そこで自分の姉妹と思しき3人の少女に出会い、幽霊は自分を知るためにこの3人の近辺を調べることを決心するのです。この本で面白いのは幽霊自身自分の情報を全く持っていないことです。自分は誰か?何故死んでいるのか?それを知るというミステリー的な要素に加え、後半では『九年目の魔法』でも取り入れられていた時間の二重構造が登場するために、物語も謎の解答も一筋縄ではいかないようになっています。僕は最初単純な一直線の展開だと勝手に思い込み油断していたため、不意打ちを食らってしまいました。ウィン・ジョーンズはなかなか侮りがたい作家のようです。
しかし、この作者の本における親の役割、というか親の扱いがなんだか随分他人行儀な気がするんです。主人公の主観的視点で語っているのに、その両親の事を「母」「父」「ママ」「パパ」などでは呼ばずただ単に名前で読んでいたりしているんですが、これは何か作者なりの意味があるんでしょうかね?ただ単純に翻訳の問題だったり、現在のイギリス文学における自然な扱いだったりするのかもしれないのですが、他の作品ではこういうものは読んだことが無かったので少し気になりました。