イラハイ

イラハイ

イラハイ


 口が回っても「馬鹿」は「馬鹿」だし、いくら理屈を捏ねて行動してもそれが理にかなっていないことはいくらでもあります。『イラハイ』を読んでいる僕にとっては、『イラハイ』に出てくる人々の行動は馬鹿馬鹿しくて可笑しなものに見えるけど、笑えるのは本の中の状況を客観的に見えるからであって、当事者としていたら僕だってきっと同じような馬鹿をしでかしてしまうでしょう。いくら真剣に時間をかけて考えたとしても。自分の行動や判断が「分別」をもっているか「無分別」なものなのかってのは、実は自分では絶対に分からないんじゃなかろうかと、作中のネタに笑いながらもふと不安になってしまいます。
 しかし、こんな風に作中に説話という形を持ち込めば、文体だけじゃなくて、その普遍性をも模倣してしまうのが、佐藤哲也の凄いところですね。
 そういえば、同作者の作品『熱帯』に妖怪「課長もどき」「部長もどき」ってのがいましたけど、働くようになってしまった今、もうあのネタは笑えませんね。ホントにあるよ、ああいう人っていうか、現象。